各市町村役場・行政機関を通じ、日本・侍士の会が地域に密着し,人と人を結び世に出ない話題を集めローカルな特色のある取材を行い、その地の特産物である海の物、山の物、川の物という食材や地場の焼酎等を取り上げていきます。五分の目編集局「故郷探訪キャラバン隊」が地域を回り、情報収集し、またその地の活性または、PRをする場(チャンス)を提供したいと考えました。ですから、このページの情報は、地域に関することなら、公序良俗に反しない限り何でもオッケー!各市町村役場・行政機関からの地域情報や一般の方からの話題が満載です!。
 [バックナンバー]
 

本格焼酎の香り
「故郷探訪キャラバン隊」
出水市紀行編
「新幹線開通の次は“篤姫”だっ!」
第9回 訪問先 【出水市】2月3日(日)・4日(月)

   ☆出水市 ( 概要資料 平成19年度版 統計いずみ 参照)
■ 世帯数 22,839世帯
■ 人  口 57,907 男 26,922 女 30,985  (平成17年10月1日現在)


■位置・地勢出水市HP参照
 鹿児島県の北西部に位置し、陸の三方を阿久根市薩摩川内市さつま町大口市、および熊本県水俣市に接している。市北西部は八代海(不知火海)に接している。
 東部は矢筈岳を主峰とする肥薩山塊が北東に走り、南部は紫尾山を中心とする山塊が東西に伸びている。市の大半は扇状地で、米ノ津川、高尾野川、野田川がそれぞれ東西に流れ、八代海に注いでいる。



 前回の志布志市のキャラバン隊の探訪から、早いもので約一年とちょいが過ぎ去っていた。

 申し訳ない話しなんですが、“出水市に行く”ことは、初めての経験でした。お恥ずかしい…。宮崎県を県境に臨む街と、熊本県を県境に臨む街とでは、私にとってはそれぐらい縁が浅い。
ということで出水市を考えたとき、出水市といえば、まずは“鶴”が思いつく。次に武家屋敷。そのほかには何があるのか?手っ取り早く、まずは出水市をキーワードにネット検索して、その検索内容を見て、思わず心の中で唸って叫んだ。
「うぉ〜っ!先崎 一だ!」
“まっさき はじめ”と読む。確か米国同時多発テロによって、自衛隊のイラク派遣が決まった際の陸軍幕僚長が先崎さんだったと思う。ニュースでその名前のインパクトに衝撃を受けたことを忘れずにいる。一度聞いたらなかなか忘れられない名前。
出水市出身の有名人はこれだけではない。フレンチの鉄人の坂井宏行(料理の鉄人)さん、前の鹿児島県知事の金丸さん、現在の鹿児島県知事の伊藤さん、女性ではマッハ文朱さん。すごいぞ出水市!なんかもう、鶴よりも、みんなが侍に見えてきそうな感じ。世界で活躍する侍。フランスで活躍する侍。県政で活躍する侍。四角いジャングルで活躍する侍。これは、見に行くしかない!“侍士の門”がそこには本当に在るような気がする!桐野利秋が「行け!」と言っているような気がする!そんな一方的な思いこ込みをひとり胸に、四人の仲間と曽於市を立った。

 出水市は、平成18年3月に野田町、高尾野町、出水市との合併により新しくできたまちです。冒頭で若干触れたとおり、鶴の飛来地としても有名であり、あの篤姫の父親の故郷としても有名な街です。ミカン栽培、エンドウ、葉たばこの生産も盛んで、焼酎では雲海酒造の工場があって、パイオニアのプラズマディスプレイの工場があって、新幹線も通って、産業、就職事情、交通機関などの面からも実に魅力的なまちです。
東九州自動車道を末吉財部から入り、薩摩川内市へ向かい、阿久根市を通っての遠回り“のんびり”ドライブ。阿久根市あたりからは、道々に見える大〜きなボンタンを見ながら、今日の探訪地“出水市”に入る。

 まずは、今日の最初の目的地である酒屋の“三浦屋”さんへ。キャラバン隊隊長の前畑さんは当然のごとく顔なじみでしょうが、私たち4人は勿論初対面。緊張しながら、且つ、先を譲り合いながら「ご免くださ〜い」。
店には中年の“話しやすそう”な雰囲気が顔に表れた男性が出迎えてくれた。
 それにしても、店内はアルコール愛好家の心を揺さぶる様々なアルコールがいっぱい。店先の写真を撮っていなくて写真で伝えられないのが残念だが、いかにも“なんかある”的な匂いを放つ店構えで、その想像通りの豊富な焼酎銘柄。所変われば銘柄もこんなにもかわるものか?と思わずにはいられないほど見たことないラベルのついた焼酎が並んでいる。旦那さんが言うには、「いろいろ並んだ方が何か買ってみたいお客も選びやすいでしょ。選んだりする楽しさもできるし。」と。
『うん。納得。』

当然ではあるが、店内構造はアルコールに配慮したものとなっている。外からの日光が中に直接入ってきにくいように“佐藤”や“侍士の門”の大きな布がかけてあって、窓は少なめ。店内はやや薄暗く暖色系のダウンライトが天井に数カ所配置されてあった。暖房も特にきかしているふうでもなく自然な室温。うん。グッドですね。
熟酔庵(じゅくすいあん)
店舗裏にはシェルターがっ?!

 さてさて、店内での挨拶もそこそこに、せっかく出水市まで来たんだから、何か面白いものでもありませんかと尋ねたところ、とおされたところは店の裏。
パッと見は、まさにシェルター。これは三浦屋さんご自慢の焼酎貯蔵庫。その名も“じゅくすいあん”。

 以前、甕壺貯蔵のものを頼んだことがあり、そのとき、甕壺貯蔵にするとこんなにも味がかわるものなのかっ!と驚いたのが、この熟酔庵建設のきっかけらしい。
 蔵内には、新しい焼酎『かたつむり』壺数十個がならぶ。これらの半分はお客のもので、残る半分ぐらいは購入できるものとのこと。
 お客は買って、木製ラベルに購入日等を記入してここにおいておくと。数年の間、ここで静かにじっくり熟成されていく。
 購入されていない焼酎は買われる日まで、ここで熟成され続ける。(当然ですが、熟成の年数が永くなると購入できる金額もかわります。)

 さて、ここからは三浦屋の旦那さんの案内で出水市観光!(貴重な時間を無理言って割いていただきました。ありがとうございました。)『どこか近くからでもいいので、面白いとこありませんか?』という、ありきたりで超適当な要望に応えて、まずは三浦屋さんから車でほんの数分のところにある野間の関所跡へ。  

◆ 野間の関所跡古井戸 ◆
 関ヶ原の戦い前後(西暦1600年)に設けられたもの。薩摩の三大関所の一つ。薩摩の封建制度を固めるためと、貿易の取り締まりのため、とくに肥後との国境にあったここは取り締まりも厳しかったとのこと。

ここで取り締まりに当たる武士も、特に手練れの者が任務に就いていたらしい。当時の子供達にとっては憧れの的だったのかも。どの人も剣豪ばかり。かっこよかったんでしょうねぇ〜…。
 当時を物語るものは既になく、ただ古井戸だけが今も当時のまま残っている。何を言うわけでもない。ただ、しとしと降っている雨が井戸の内側に生えたシダにあたり、水滴が下の水面に当たる音がかすかに響くだけ…。
 出水市に来て、初めて“薩摩の三大関所”というものを知った。お隣の志布志市やそれほど遠くはない宮崎市高岡町にも同じレベルの関所があったとは。時代とともに役割も薄くなっていき、形骸化していき、やがてなくなっていって、私みたいに今日まで知らなかった者が育っていく。なんとなく、わびしいものを感じます。

◆武家屋敷◆
 出水市に来たからには、やっぱり武家屋敷は見ておかないと。
ということで早速行きました。
植木もきれいに剪定してあり、道路もきれいで、さすが国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれるだけありますね。
 旧竹添邸は入場無料。中には管理人の田浦さんがいらっしゃいます。中にあるものや小物などについて教えていただきました。
 引戸の指掛けには、ちょっとした遊び心が。
まあ、見に行った人だけが分かるということで。
 旧竹添邸の庭にはかわら版のようなものが立て掛けられていて、その中の一文に“馬場(道路)”のようなことが書かれてあった。さすが武家のまち。人の道ではなく馬の道という位置づけとは…。さらにどうでもいい連想ですが、苗字が“馬場”の人は、道沿いに住んでいたから“馬場”姓になったのかもしれないと、本気で思いこんでいます。
  







◆箱崎八幡神社◆
 日本一の大鈴があるのが出水市!箱崎八幡神社の境内にあります。人の頭と比べて見てみて。すごく大きいです。高さは4メートルもあります。一応、神社・神宮の賽銭箱のとこにある鈴みたいにヒモが垂れ下がっていて、振れば鳴ります。ホントにすごく大きいです。

 また地域名がこれまたよろしい。出水市“上知識町”だって。御利益も二割り増しになりそうなぐらい、良い地域名です。

  

 ちなみに、日本一小さな鈴もここにあります。直径は確か“2mm”ぐらいだったと思います。

 もう、そんなことどうでもよくなってきそうなぐらい小さいです。虫眼鏡で見ないと見えません。

 ちなみに、通常の鈴みたいに、中は空洞になっています。“からんからん”と鳴るようになっているかまでは、確認してきませんでした。
自分で確認してみよう!!

  

◆特攻碑公園◆
 こちらは、旧海軍航空隊出水基地跡の特攻碑公園。大きな通り沿いにあります。桜並木がズラーッとあって、春には花見が楽しみな場所です。
 公園の近くまで来ると、まずこれが目に入ります。

 戦闘指揮所地下壕だそうです。中は通り抜けできます。狭くて暗くて、何とも言えない絶望感のようなものを感じました。
 戦後、出水の近海で見つかった友軍機のプロペラだそうです。無念だったろうと思います。プロペラのエンジンの意外な場所に驚きです。

地下壕の中には、飛行機のボディらしき一部が立て掛けてありますが、まさに絶望的なほどペラッペラです。鉄不足と軽量化からでしょうか。みそ汁鍋の方がまだ十分に厚みがあるといえるほど。
 ボディは頼りないわ、燃料は十分にないわ、一度海に出れば広いわ、特攻という究極の使命をもって飛び立たねばならないわで、特攻の隊員は、さぞ辛かったろうと思います。こういう尊い犠牲の上に今の私たちがいるんだということを、まずは忘れてはならないなぁと強く思いました。
 



  

◆ツル観察センター◆

 出水市に来たら、『とりあえずここだけは見てけ!』といったら、これでしょう。ツル見なきゃね。ということで、ツルが最も見やすいツル観察センターへ向かう。車で向かっていると、向かっている途中にある田んぼで、もう数羽のツルが見えている。『わぁー、いたいた!ツルだーっ!』と初めて見るツルに、いま見逃したらもう二度と見られないかもぐらいの勢いで窓ガラスにおでこをびっちり付けて見ていたら、案内してくださっている三浦さんが、『そんなに見なくても、展望所の方にはウジャウジャいますから…。』と、落ち着かせる感じでおっしゃった。

「とかなんとかいっときながら、『残念。今日はツルは来てませんねぇ〜。』なんてオチがついたらどうするつもり?」と疑いながら、展望所のあるツル観察センターへ向かう。

 近くまでくると、その疑いが全くの無駄であったことに気が付いた。
 えぇ、いました。ホントにうじゃうじゃ。ツルもいっぱい。見に来た人もいっぱい。車中で遠くの3〜4羽のツルをがっつり見ていた自分が恥ずかしく感じるぐらいいっぱいいました。ここら一帯、ぜーんぶがツルの食事処になっている。日に何度か餌付けしているそうです。写真がとおめですみません。数種類のツルが越冬のためここを訪れるそうですが、ほとんどがナベヅルかマナヅルです。中でも、ナベヅルの割合の方が大きく見えます。
  
 上の写真の向こうの方にツルの寝床があるそうです。とはいっても、水を張った田んぼです。ツルは外的から身を守るため、外敵が入って行きづらい水田で寝るそうです。こうすると、獣もそう簡単には襲って行けないし、来たとしてもバレバレですね。なお、ツルは体温が高いそうで、その体温が逃げないように、夜、田んぼで寝るときには、片足で寝るそうです。あのポキッと折れそうなぐらい細〜い足で。ツルも生きていく為に大変ですね。



篤姫効果はあるとは思っていたが、まさかあんなに観光客が多いとは思わなかった。ツルの飛来数にも驚いたけども。いま熱いのは宮崎県だけではないですよ。


               


 小高い丘から出水市内を臨んでみた。建物の密集した街、ゆったりと見える海、そして田んぼ。あれもこれもあって、実に欲張りな街に見える。今日は旧出水市のみを見た。これに高尾野町と野田町もある。まだまだ、新しい出水市のほんのちょっとをのぞいたにすぎない。


 
丘の上だけに風がよく吹く。ここらあたりは丘のいたるところに桜の木が植えられているので、桜の咲く頃には、さぞ見事な桜吹雪が見られることでしょう。しばらく男6人で風の音を聞きながら眺望にふける…。
  
 『店に行かなきゃならないんで、(酒宴の)時間まで、ちょっと帰ってきていいですか?』と三浦さん。

飲みの席はちょっと早めの5時半。定刻まで1時間弱ほど時間がある。

ゆっくり温泉楽しむには時間がなさすぎるし、まだ見てないところをいくつか見に行くにも時間がたりない。
 ということで、時間をつぶさねば…、と思っていたらいい場所があった。

出水駅

駅もきれいに生まれ変わって、新幹線も通るようになって、うらやましい。

駅構内では、パイオニアの大きなプラズマテレビが見られるようになっていた。
ちょっとのあいだテレビ鑑賞。テレビでは先に行われた技能五輪大会の様子が放送されていた。テレビを見てたら、自分もまだまだ頑張らねばと思った。世界を相手の舞台で、それぞれの部門で技を競い合う、私たちなんかよりもーっと若い青年達。日本は先行きの分からない何だかよく分からない不況にあえいでいるように見えるが、ここに映し出された若者達を見ていると、元気が出てくるし勇気づけられるし、なにより『日本の未来は絶対に暗くはない!』と、思わずにはいられなかった。彼ら彼女らもまた、侍士だ。

 外も少しずつ陽が落ちてきて、少し暗くなってきた。今日は平地も風が強くて冷たい。早く温かいものでもいただきたくなってきた。

 
今日持ち寄った肴の友は、桐野、甕御前、蔵番長、侍士の門、渚の篤姫御殿、そして地元の雲海酒造の古秘と甕匠の合計7品。

これは贅沢ですよ。実に贅沢ですよ。これをたかだか10人ほどで飲むんだから、贅沢をとおりこして“勿体ない”気さえする。
   
もう、挨拶や市の概要説明なんて、そこそこです。最初こそビールで乾杯ですが、それも“そこそこ”です。すぐに焼酎に入ります。“ほかのアルコールを胃袋に入れるのが勿体ない”ぐらいの勢いで、すぐに焼酎に切り替えて飲み出します。ともに飲んで食べて、膝も肩もくっつくぐらいの近さで語り合う。これがお互いを知り合うには一番手っ取り早い。
 飲めない私は、キャラバン隊で地元ならではの食べ物、いわゆる“郷土料理”を食べるのが大きな目的の一つ。

 今回の出水市にもありました(右写真)。豆腐をつぶしたものと岩のり(?)をまぜて団子状にしてサッと揚げたもの。ポン酢でいただきました。磯の香りのする揚げたガンモドキみたいな感じ。

年を重ねると、こういうあっさりものがありがたく感じる。
美味しかったです。ご馳走様でした。
 『明日は朝早いから、8時ぐらいには帰れるようにしようか。』と言ってたにもかかわらず、なんやかやで10時前。

街の規模や住環境こそ違うが、どちらも市町村合併間もないという似たような環境の中で、似たような悩みや喜びを持つ者同士。一旦、話しに火がつくと、そう簡単に話が途切れようはずもない。

シラフの私が何度か帰宅を促して、『もう10時になりますよ。もうそろそろ…。』と言ったところで、ようやく店外へ足が向く。でもまだ、時間を惜しむかように、話しながらで…。

みんなで恒例の記念撮影をパチリ。『気を付けて帰らんといかんでなー。眠らんごつ。』と言った出水市の面々の顔は『明日はどこで飲もうか?』と言ってるかのよな赤ら顔だった。

『侍士の会』の銘柄も、焼酎「侍士の門」を先頭に各種銘柄がそれぞれの特徴を際立たせて全面展開の様にはなってきたと思う。しかし、ここに至るまでの道のりは、平坦であったとは微塵も言えない。

「飲みにくい!」「やっぱり○○(地元の主流な焼酎の銘柄)が一番。」

と、半ば笑われながらもここまできた。売れるものが造りたいとか、美味しい焼酎を造りたいとか、暮らしぶりを安定させたい又は向上させたいとかいったことを、酒販店、酒造会社、原料を造っている農家の方々が願いながら一生懸命働いて試行錯誤を繰り返した結果、今の焼酎『侍士の門』がある。

当時の行政(旧財部町)はといえば、まちをアピールするカードはいくつかあっても、なかなか大きな一歩を踏み出すまでには至らない閉塞感のようなものを感じていただろうし、何かを探し求めていたような気がする。


財部町も地元原材料にこだわった焼酎「侍士の門」をも頼りに、ようやく全国的にアピールするべく、一点突破の風穴を空けることができた。
出水市も今、「篤姫」効果によって、一点突破の風穴は十分に空いていると思う。
ここからはどちらも総合力。

 私たちは、自分のまちをPRするためだけにやってきたのではない。出水市の協力と焼酎の力もあり、肩を組んで飲みあうつながりができた。出水市民ではない私たちが出水市をPRすることが鹿児島をアピールすることであり、鹿児島県である曽於市をアピールすることにもつながる。ほかの県だからとか、ほかの町だからとか、ほかの店だからとか、ほかの商品だからとか細かいこだわりはこの際、どうでもいい。

一点突破の風穴が空いたら、次は飛び出すチャンスをうかがいたい。ここは一つ、乗りかかった舟ということで、キャラバン隊を続ける「侍士の門」の先を見てみたい。その先がすごい世界なのか、普通のどこにでもある“日常”なのか分からないけれども。

まずは、水戸黄門の“うっかり八兵衛”的立ち位置からででも、付いて行けるとこまで付いて行ってみたいと思う。

              編集☆マサポンこと宇都正浩(元財部町広報マン担当)☆
一夜明けて・・(宇都編集員からバトンタッチ)
昨夜の懇親会の余韻がまだ残るが、今日はキャラバン隊全員が立ち去り、出水に一人ぼっち。いつもなら二日目も同行してキャラバンが遂行されるのだが日程が寸刻みで忙しい方ばかりなので仕方もない。

(出水市役所 正面)
さっそく、お世話になった出水市役所に向った。新幹線の発着駅もある画期的な町だが、市役所は想像とは違う印象だった。周りがどんどん新しくなっていく中で市役所は昔のままなのだ。階段を上がり通路や各課の入り口も歴史が漂い、現在の各市町村の新しい建物とはどことなく雰囲気が異なって、余計に行政の良い意味での重さや固さを感じた。厳かに重い開き戸を開けるとそこには夕べ盃を交わした一夜の友が難しい顔をして仕事に向われていた。顔が合うと夕べの顔に戻りホットした。
☆この人紹介☆
みかんの香果園 こうかえん出水市美原町  0996−62−3164
      
眞鍋勝利さん(42歳)                 (みかん山を走る)
出水の特産物ということで“みかん農家”を案内していただいた。出水と云えば“鶴”と“みかん”だろうという声が多い。いったいどこに?みかん山があるのだろう?企画課係長の畠山義昭さんが運転する公用車で「みかんの香果園」という農家に向った。・・しかし、中々、見つからない。急な坂道にある横道に何度か入ったが、よく似た山道ばかりなので迷ってしまった。大変な道案内を頼んでしまった。「・・申し訳ありません」とようやく心当たりの選果場までたどり着いた。紹介していただいたのは『眞鍋勝利』さん。毎回キャラバンでは突撃取材で訪問する。それでも気さくに対応をしていただいた。きっとみかんも最高!
       
     (たわわに実るみかん) 
既に収穫の時期が終わり、みかん山にはお父さんとお母さんが仲良く農作業。日当たりの良い山の斜面にみかん山はある。20種類以上の品種を栽培。そんなにあったのかあ!「清見タンゴール」と「アンコールオレンジ」を掛け合せたものに、晩生の高品質品種「マーコットオレンジ」を交配し、育成された 「せとか」という高級みかんにも力を注いでいると聞いた。
案内役の畠山さんと眞鍋さんがみかん栽培や地域について山を見ながら説明。行政との接点は農家にとっても一途の望みでもある。昔、多くの農民がこの地を切り開いてみかんを栽培したと聞いた。今では“出水みかん”として知名度があるが、先駆者の苦労は並大抵ではなかっただろう。今でも色々な問題を抱えながら、それでも山を守り、美味しいみかんを育て、新しい品種改良などをおこないさらに挑戦は続いている。
今度、出水市を訪れる時は山がオレンジ色に輝いている頃にしよう!「畠山義昭さんと眞鍋勝利さん、大変、忙しい中、ありがとうございました。」

(後ろを振り向くと新幹線を中心に出水市が眺望できる絶好のポイント)
開拓された「みかん山」から出水市を見おろすと目の前に新幹線の線路がど真ん中に見えた。今や町を活性するだろう重要な出水の顔とも言えるひとつ。我が財部町も駅が三つもあるユニークな町だ。新幹線とはスケールが違うけど、今、新しく駅を建て替えようとしている。小さな小さな活性の夢です。ローカルだけど一人でも財部で降りてもらいたい。そんな事をふと考えてしまった。本当に羨ましいかぎり・・。

名残惜しいけど、そろそろ出水を離れなければならない。串木野に立ち寄り国道3号線から高速に入り、帰ることにしよう!出水、よかったなあ!来週は宮城、福岡とまた追われる現実に戻らねばならない。

このキャラバンを終えた後、出水平野では“鶴の北帰行”の一便が始まったと風の便りに聞こえてきた。
鹿児島横断・全町訪問(宮崎の一部も検討枠)
薩摩・大隅「本格焼酎の香り」故郷探訪キャラバン隊
              主催   日本・侍士の会
              後援     曽於市

                    南日本新聞社


 ※参加協力者(多くの方々の協力で無事、実行できました。)
  (敬称は省略させていただきます。)
  ■編集局
  財部〜前畑 浩一

  ※キャラバン担当随行員
  ■曽於市役所  
  企画課  曽於市広報マン 梅木 康
  総務課  課長補佐     花房親志
  税務課(元財部町広報マン) 宇都正浩


  ■一般参加
  富岡 豊文 (富岡製茶 0986-74-2163)
  三浦 義弘 (有限会社 三浦屋)※侍士の会 特約店

※取材協力
  みかんの香果園
         眞鍋 勝利


※訪問先キャラバン協力・参加
  ■ 出水市役所  政策経営部
  企画部 企画政策課
            課長   坂元俊徳
  主幹兼地域振興係長   畠山義昭
          参事補   小村郁則
            主事   田頭 修


  ■南日本新聞社 出水支局 
           支局長  茅島俊哉

  【懇親会】
  会場協力
   「夢ZEN」:ホテルウィング内


お知らせ! 宝山ホール 「文化講演会」について ※入場料 無料
薩摩の知られざる逸材  『小松帯刀』 講師 :歴史作家(出水市出身)
        〜大河ドラマ「篤姫」に寄せて〜        桐野 作人

日時:2008 5月27日(火) 定員:先着1500名 ◇開演 18:30
申込期限:5月7日(水)
申込:必ず往復ハガキにて、お一人様一枚でご応募下さい。
返信ハガキが入場券になります。

(往信)〒892−0816 鹿児島市山下町5−3  宝山ホール
                宝山ホール文化講演会  係
(返信)あなたの住所・氏名・連絡先をご記入下さい。

桐野作人先生は出水市出身。毎週土曜、南日本新聞『さつま人国誌』を連載されています。現在は東京在住。色々な本を書かれている歴史作家。※先生のブログ紹介(膏肓記)


                     【編集後記
キャラバン隊 編集局から
☆出水市内は海と山に囲まれた広〜い大地。2月の時期は一番冷たい海風が吹いて寒さが厳しい。到着当日は小雨でした。しっとりと雨にうたれた石垣。私が強烈に心に映ったのは、昔から残された武家屋敷群。薩摩最強の武士たちが住んでいたと聞く。観光や景観を残す為に不自然に造られたものではない。日本中に遺産が残されたものが知られていますが、出水市のここはひっそりと自然に時代だけが取り残されたかのように存在している。あえて大きなPRも無い。鹿児島県に何十年も生きていながら初めて存在を知った。これこそ世界的重要文化遺産。本当は知られ過ぎて荒らされたくないほど素晴らしい!焼酎造りとは云え、侍で突っ走ってきた私にとっては毛の生えた心臓をぎゅ-っと握られてキュ〜ンと感動。篤姫効果で出水市への訪問者が増えているらしい。是非共、一度は散策してもらいたいお薦めのスポットでした。南日本新聞社(出水支局)の「茅島俊哉」支局長さんには情報提供や道案内までしていただいて大変お世話になった。一週間後には『鶴マラソン』を控え、市役所も準備でものすごく大忙し。今回もお互いの関係者のスケジュールに出水市の方にも併せていただき無事キャラバンが達成できました。いつも感じることですが、身近なことを知らないことがいっぱいあることを知ります。今回もお互いに地元を見つめ直す素晴らしい訪問になりました。市役所の皆さん、農家の眞鍋さん、三浦酒店さん『ありがとうございました!』

                                前畑浩一
■キャラバン随行編集員(編集協力)
 曽於市の為、公私共に大忙し!

 宇都正浩

■宇都正浩(現在、税務課)・・《じつは・・一滴も飲めない》

私の車にはカーステレオはあってもカーナビはない。キャラバン隊のうち4人は翌日に大事な仕事を控えており、今回は車で日帰りせねばならない。紫尾山越えの夜道を走る。当夜の我車には鹿児島弁カーナビが3台搭載。紙コップに焼酎を満たして上機嫌の酔っぱらい機が3台。正常に作動しようもあろうか…。出された指示のほとんどが『そこは真っ直ぐでヨカど』であった。かすかに月明かりに照らされた静かな山間を走り抜け、ようやく帰れそうな幹線道路までくることができた。無事帰れるか不安になりながら運転してる私を尻目に、後部座席ではバカ丸出しの宴会を、まだ続けている。5時半から12時過ぎまで休憩ナシで続けている。

四半期に一度ぐらいの間隔で執り行うふるさと探訪キャラバン隊。
こんな夜が漏れなくついてくる。こんな夜があってもいいと心からそう思った





後援 南日本新聞社
次回の予告
直前まで「ミステリー

読者の皆様へ

 このページでは、焼酎に関する情報もお待ちしております。焼酎に絡んだ地域情報、ホットな話題等、なんでもお待ちしております。公式に情報交換しながら、御互いの町の観光や特産品、文化のPRなどを制作していきます。あなたの町・村・島にも、訪問しますよ!!どうぞ、地域情報をお寄せください。
※焼酎の普及とイメージアップになるような情報以外のものは、受付を致しかねます。ご了承下さい。

☆ 地域情報
     読者感想はこちらから☆
五分の目編集局
maehata@vesta.ocn.ne.jp
五分の目編集局長より